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百年の記憶と、未来を見つめる建築。
箱根リトリート villa 1/f & föreには、時を超えて受け継がれる二つの物語があります。
大正三年に開業し、文化人や皇室にも愛された名旅館「俵石閣」の歴史。
そして、建築家・渡辺 明が手掛け、森と調和する象徴的な建築「före」。
伝統と創造が交差するこの地で、唯一無二の時間をお過ごしください。
俵石閣の歴史
大正三年に開業した「俵石閣」は、百年余の歳月を重ね、文化人や皇室にも親しまれてきた名旅館でした。
数寄屋造りの美や職人の技が随所に息づき、時代を映す建築と意匠が今も輝きを放っています。
ここでは、写真とともに俵石閣の歩みを辿ります。

1930年~1940年当時
仙石原は、富士箱根伊豆国立公園の特別地域に指定されており、土石流が残した風穴、氷穴、針広混交の自然林など特徴ある自然が保護されてきた希少なエリア。
明治の後年代、東京の実業家であった島田藤吉、田畑平七、淡島嘉兵衛は仙石原のエリアが将来必ず発展するであろうと確信し、共同して現在再建中の俵石閣周辺の土地を取得・拡大していきました。
当初は彼らはここに別荘を建設する予定でしたが、後に計画を変更し、大涌谷より温泉を引いて温泉旅館を建設する計画を構想しました。

明治42年(1909年)に石村菊治と共同して引湯工事に着手、明治45年上湯場の温泉を元湯場(現在の仙郷楼)と俵石(現在の俵石閣)
に引湯することに成功しました。そして大正3年(1914年)、島田らは温泉旅館を「俵石閣」名付け開業し、仙石原は温泉場として世に出るようになりました。
また俵石閣は神奈川近代文学館の資料によると、かの有名な与謝野晶子、与謝野寛、平野万里、石井柏亭、河合栄治郎ら文化人に愛用されていたと記されており、さらには、上皇陛下が皇太子時代に宿泊した名門旅館としても知られています。
職人技の美に触れることができる室内建具

建物内では、杉板を薄く切って編んだ「網代天井」や、5センチもの厚さの板を彫刻刀で手彫りし、模様を描いた「透かし彫り」など、当時の職人の洗練された技術を至るところでご覧いただけます。
数寄屋造りとは、“数寄屋風”を取り入れた建築物のこと。定まった様式はなく、狭義では「茶室がある建築」を指しますが、現代においては竹や杉皮、土壁など自然素材を取り入れ、
それぞれの素材感を活かした和風建築も数寄屋造りと呼びます。
ちなみに「数寄」とは、和歌や茶道、生け花などの風流文雅を好むことを指します。
厳選されたこだわりの素材
箱根の豊かな自然や各地から選び抜かれた旬の恵みを、料亭 俵石ならではの感性で一皿に。
生産地や食材の物語とともに、四季折々の味覚を美しく仕立てた日本料理の世界をご堪能ください。
föreの建築
自然と調和する、ハーフドームの詩。
1996年、建築家・渡辺 明の手によって生み出された「före」。
森の中に浮かぶように佇むハーフドーム型の建物は、シンボリックでありながら周囲の自然と調和するデザインが魅力です。
大きなガラス壁面には、四季折々に移ろう森の色彩が映り込み、訪れる人にまるで一枚の風景画を見ているような体験を届けます。
渡辺氏の代表作「二期倶楽部」にも通じる独創的な美学が息づく、箱根リトリート föreを象徴する建築です。
建築家 渡辺 明のご紹介
| 経歴 |
1938: 長野県長野市生まれ 1960: 日本大学理工学部卒業、(株)竹中工務店入社 1980: Harverd University 研修 Boston、株)渡辺明設計事務所設立 2010: 逝去 享年 71 |
|---|---|
| 受賞歴 |
1984:建築士会住宅建築賞最優秀賞/P.P.H. 中部建築賞最優秀賞/信州の家 1987:いらか賞銀賞/二期倶楽部 1988:東京建築賞最優秀賞/二期倶楽部 1989:新日本建築家協会新人賞/二期倶楽部 1996:JDCデザイン賞奨励賞/東京プリンスホテル ガーデンアイランド 1997:栃木県マロニエ建築賞最優秀賞/二期倶楽部 PartII 1998:日本建築学会作品選奨/成城の住宅 1999:日本建築仕上学会作品賞/二期倶楽部 PartII 2002:日本建築学会作品賞/W-HOUSE 2005:AACA賞奨励賞受賞/蓮池濠手洗所 |